今から25年前のことだ。高卒ルーキーの中村俊輔は、ある場面で、新人らしからぬ生意気な行動に出た。本人の言葉を借りれば「くそ野郎」だった。
1997年、横浜でのプロ1年目。当時、チームを率いていたのはハビエル・アスカルゴルタ。スペイン人指揮官は、まだ線は細かったが卓越したテクニックとイマジネーションを備えるレフティを開幕からベンチ入りさせれば、その後も途中出場や先発抜擢など、積極的に試合で使った。
俊輔もそれに応え、最終的にはJ1で27試合に出場し、5得点をマーク。ルーキーイヤーとして上々の活躍ぶりだった。
ただ、納得できないこともあった。スタメンで起用され、ゴールやアシストなど目に見える結果を出しているにもかかわらず、途中交代を命じられる。なんでだよ、と頭に来た。我慢できなかった。ピッチを後にする際、監督とのハイタッチを無視。ロッカールームに戻り、怒りにまかせてスパイクを蹴り飛ばした。
無礼な態度に出たのは、それなりの理由があった。「焦っていたんだよね」。97年にはワールドユースにも出場。3年後のシドニー五輪も視野に入っていただけに、できるだけアピールしておきたかった。
フル出場にこだわった。傲慢になっていたわけではなかったが、実戦を積むごとに“自分はやれる”と確かな手応えを掴んでいた。それなのに、なぜ途中で引っ込めるんだ――数年後、わだかまりはようやくとけた。
場所はグラスゴーのヒルトン。アスカルゴルタと久々の再会を果たした俊輔は、くすぶっていた疑問をぶつける。帰ってきた答えに「それ、早く言ってよ(笑)」と内心思った。
アスカルゴルタは、交代に不満げな俊輔を見て「何を怒ってるんだ?」と不思議がっていたようだが、間違いなくその将来性は高く評価していた。だからこそ、先発させて活躍でもしようものなら、途中でベンチに下げたのだという。
「シュン、良いプレーをした若手ってやつは、そのあとに削られたりするもんだ。原石は、なるべくキラキラしたまま、上に持っていきたい。変に挫折させたくはなかった。自信をどんどんつけさせて、良い状態のまま交代。若いうちはそれでいいんだ」
スペイン流の育成で大切に磨かれた原石は、後に日本サッカー界のトップランカーにまで上り詰める。「今、考えれば、本当に助けられた」と感謝は尽きない。引退後は指導者を志している俊輔にとって、“引き出し”を増やす貴重な経験になった。
そして今季、横浜FCで現役を続ける俊輔は、背番号を「10」から、プロ1年目に背負った「25」に変更。「初心に帰るじゃないけど、25番も好きなので」。年齢を重ね、さらに磨きがかかった自慢の左足で、眩い輝きを放ちたい。
サッカーダイジェスト 2/17(木) 5:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa31ad571dafa9a8e0aae1065e37633139c9621d
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Source: サムライ ゴール

