なぜ日本では「溺れる犬を棒で叩く」という冷血人間が大量発生するのか
8/19(水) 9:16配信
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/winhorse
日本人は「上が決めたことなら仕方ない」と考えがちだ。生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は「結局、強い相手には口をつぐむ。一方、いじめてもよさそうなやつは徹底的に叩いて憂さを晴らそうとする。それが日本人の国民性だ」という――。
※本稿は、池田清彦『自粛バカ』(宝島社)の一部を再編集したものです。
■敗戦でも「はい、そうですか」、占領されても「はい、そうですか」 アジアには一神教を信じる国がけっこうたくさんあり、韓国は人口の約30%、フィリピンは90%以上の人がキリスト教を信仰している。中国でもすごくキリスト教徒が増えた時期があり、共産党が教会を建築法違反で取り壊したりして弾圧したんだけれど、宗教には弾圧すればするほど信者集団が大きくなるという背理があるから、信者が10%ぐらいいる。マレーシアとインドネシアはイスラム教。だから、アジアには一神教が普及しやすい文化がないわけじゃない。
ところが、日本は仏教国でもない。法事や墓参りでお寺には行くけれど、単に葬式仏教をやっているだけで、「私は仏教徒です」なんて人は少ない。日本は世界でもかなり珍しい部類に入る無宗教の国で、それが日本の特性なんじゃないかと思う。だから、すべては八百万(やおよろず)の神(森羅万象に宿る無数の神々)による自然現象で、どんなことでも受け入れてしまうのかもしれない。
明治維新が起きたら「はい、そうですか」、戦争に負けたら「はい、そうですか」、アメリカに占領されても「はい、そうですか」。もし憲法が改定されて緊急事態条項が追加され、何かの間違いで日本に反米独裁政権がつくられたとしても、多くの日本人は「はい、そうですか」ってそのまま受け入れるんじゃないかしら。
■中国の属国になってもレジスタンスなんか起きない
多くの日本人はそういった感性をもつので、日本では上に立つ人間が責任を取ることは滅多にない。そうなったのは、敗戦時に多くの戦犯が責任を逃れようとしたことも大いに関係していると思う。
B級戦犯は現地でたくさん殺されたけれど、上の人間で処刑されたのは東京裁判で裁かれたA級戦犯だけで、しかも裁判では「私は戦争には反対だったんだが、いやしくも上が決めた以上、従わないわけにはいかなかった」とA級戦犯の多くは揃って同じようなことを言っていた。この「いやしくも上が」っていうのも、言ってみれば自然現象のことだ。自然現象だから仕方がなかったと言いたいわけだ。
ノモンハン事件の参謀・辻政信も責任を取らなかったし、史上最悪の作戦と言われ、作戦に参加した9万2000人の兵士の60%以上が戦死と戦病死したインパール作戦の指揮官・牟田口(むたぐち)廉也(れんや)も結局責任を取らず、77歳までのうのうと生き延びた。
今の中央省庁の官僚もまったく責任を取ろうとしないけれど、それは上が決めたことをやっているだけだから、自分たちは何も悪くないと思っているんだよね。そういうシステムが明治時代からずっと続いている。
だから、日本人は政治体制が大きく変わってもびっくりしなければ反抗もしない。極端なことを言えば、仮に中国が侵略してきて属国にされても、ご主人様がアメリカから中国になっただけの話なので、日本人は「はい、そうですか」って受け入れるんじゃないかと思う。おそらくレジスタンスなんか起きないし、日本を取り返そうと死に物狂いで頑張るやつもほとんどいないと思う。
【プレジデントオンライン記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb120061a74c0d883a6af0ffc60f575898bfd136?page=1
分からなくはない。文句は言うけど責任は取らないし、ましてや不満のある現状を変えるために行動してる人ってほとんどいないように思う。
そもそも自分の意志で何かを決められる人って案外かなりの少数派であることに最近気付いた。
いや確かに学校の教室にいる時から先生なんかに反論すると変な目で見られるし。
今も上司に反論すると黙って従っとけよって言う雰囲気があたりに漂う。
「空気を読む」=自分を殺すという行為が漂ってる国だと思う。
確かに日本人は自分とは違う意見でも反論せずにただやり過ごそうとする人が多いように思える。
そこで反論など人とは違うことをしようとすると反感やバッシングの対象になるので個性が奪われていく。
「衆愚」という言葉があります
個人では良い人でも、集団としてみるとまた別の側面が見えてくる。
最近思うのは、日本の問題点は政権ではなく、国民だなと。選挙の低い投票率が物語ってる。
この国を変えるなら、まず教育から変えないと。
「溺れる犬を棒で叩く」というのは最近まで知らなかったが、韓国の言い回しで知った。
昔から日本にあった言葉なの?
日本の故事成語は、どちらかといえばより良い人間になるための指針が多いと思うが、韓国のはビミョーなものが多い。
自分が食べられない飯には灰を入れろ(だったか?)とか。
そういうのだけピックアップされているのか、それとも韓国では韓国人の内面を表すそういう言葉しかないのか、知らんけどね。
そりゃあ長年大手メディアが言いっ放し書きっ放しで流しっ放しで責任のせの字もとらずに他者を叩き続けてきた歴史があるからね。
SNS等で誰でも情報発信できるようになれば、みんなそんなメディアのやり方を自然と倣ってしまうわな。
一理ありますね。教育現場どうでしょうか。
2人の子を育てていますが、まず日本の教育を見直すべきではないかと肌で感じます。
「空気が読めて皆んなと仲良く自分の意見は二の次」の次男は、教師からそれはそれは褒められます。
一方「空気に流されず自分の意見をはっきり言う」長男は教師には何かと胡散がられているような印象。
しかも、親からすると学力も明らかに長男が優れているように思いますが、次男の方がかなり良い通知表をもらってきます。
家庭ではもちろんどちらも褒めていますが、長男の良さは失われつつあります。
「空気を読んで合わせる」ことを求めすぎていませんか?
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
島国の良いところもありますが、悪いところも出てきているのですね。
海に囲まれ、この国、昔ならこの地域から抜けられないので、表面上上手く付き合うしかなかった。
だけど、本心では、出せないストレスを溜め込んできたのかも…
それが、いじめとか村八分とかになったのかな?
今も悪質ないじめや、村八分があると聞いて、変わってないんだなと思います。
これはその通りだなと思う。大企業とかになればなるほど、昔からの慣例で、やらなくてもいい仕事があったり、
古いルールが残ってるが、疑問に思って声をあげても『昔からこのやり方だから』と一蹴されて終わり。
また、仕事で上手く行ってる人が同僚に居ると、上手く行ってない人たちが徒党を組んで虐めたり、よくない風習が数多くある。
同じ仕事をしてる同僚が上のレベルに上がるのをよく思わない奴が多い。
足の引っ張り合いするし、マイノリティを排除する動きが強い。
確かに多くの日本人はそうであったかもしれない。
しかし、それはマスコミの影響が大きいのではないだろうか。
例えば、コロナの事なら誰でも知ってるけど、
中国共産党と米国、香港、インド、チベット、台湾との関係や尖閣諸島の現状はと聞かれるとあまりよく知らない、
どうでもいい芸能人のスキャンダルならよく知ってるけれど、
政治家の活動についてはあまりよく知らないという人が多いのではないか。
それは、日頃、TVや新聞などで報道されている内容が日本国民を洗脳している部分が大きいからだと思う。
ただ大学で覇気がない学生というが以前とった授業で「一部のネットの意見だけとってきて若者批判をする偏った表現はおかしい」と手を挙げた女の子がいた。
当然先生は怒り、周りの年配受講者も口を揃えて授業の邪魔をするな口答えするなと言う光景はとても学習者は平等で自由に意見を出し合うべきという土壌など感じなかった。
学生に覇気が無いのは学校の体質の問題だよ。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
心の余裕には文化に親しむことが重要で、
文化に親しむには時間がどうしてもかかるから、
仕事外の時間を大切にする文化を根付かせると良い。
仕事から帰ってきたら疲れて寝るだけなんて悲しすぎる。
声を上げない良識ある人達の方が圧倒的に多いと思うけど。
マスコミに流される人達も一定数いるしね。
どの国でもそうだけど、マスコミはもっとマトモな報道を心がけないと国益を棄損してしまうよね。
かと言って、他国の状況は自分で確かめる事が出来ないので、メディアの情報源だけなので、日本と比較しても信憑性は欠ける。
でも、想像するに、何処の国の大衆もストレスを抱え、程度の差はあれ同じ様な現象はあると思う。
ただ、日本人はこれほど自分の判断基準を持たない、持ちたくない、自己の責任を取りたくない国民性であるのは同意できる。
コロナに感染するリスク、感染さすリスク、半年も経てば、ほぼほぼ分かるだろ!って言いたいわ。何でもかんでも、行政の基準が悪い!曖昧だ!って言っても、ウィルスの蔓延を完全に止める手立ては無い。
子供かよ!って言いたいわ。
ルールの中で逸脱した行為もしてない有名人が感染して、感染した事に謝罪をする日本社会は異常だわ。
経済重視と言いながら、対策している居酒屋言って感染したら、それは仕方ない。
それで批判する日本人は異常だよ。
古代から「水に流す」のが文化だったはずだったのに江戸辺りからおかしくなった社会システムがそのまま。
そこにまた、格差発生してきたけど、昔みたいに表立って差別できないからその鬱憤をネットで晒しているだけ。
と思う
だから、優秀な医者やメークアップアーティスト、エンジニアは、日本では住みづらいので、海外に行ってしまう。みんな抑圧されているから、成功者を見ると、すぐ嫉妬する日本。自分と異なる人を見たら、思いっきり村八分。アメリカでは、営業マンは、いい車に乗っている方が商品が売れるそうですが、日本では、いい車になんか乗っていたら、商品を買ってなんかくれません。嫉妬。やっかみ。恐ろしいほどの同調圧力。戦後の教育が悪いんだろうと思う。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
今の世の中を見ていると、長いものにはまかれろ。えらい政治家さんがなんとかやってくれるだろう、食いはぐれることはないだろう、と思っている。ぬるま湯に浸かり、選挙に行くこともせず、知らぬ間にか大変な国になっているってことは、あり得る。戦後、先達の努力で、確かに今の日本がある。でも、おかしなことも、沢山あった。
自分が他人に合わせるのではなく、他人が自分たち(既存の国家や社会の文化、規範)に合わせるのを強要するのです。
だから合わせない人間には容赦しない。
和をもってどうのこうのて、要するにこう言うことです。
今のコロナの件でも日本の状況は悪くないのでブラジルの大統領のような意見をいう政治家がいてもおかしくないのに。
批判を恐れて安全側に舵を切り過ぎてる。安全側に振れば何があっても批判されるリスクは少ないしこのまま感染拡大しなければ手柄にすらできるかもしれない。でも経済はどんどんダメージを食う。
多くの政治家は国民のためより自分が批判されないことを優先している。日本人の特性なんだろうね。
確かにそういう人間は多いです。
「要領がいい」って言葉も、大概は悪い意味に使われてますし。
でも逆に、そこそこ真面目に(真面目なフリをして)やっていれば済んでしまうので、「上手いことやれる」のが、その裏で皆の何倍も工夫し努力した結果だとしても、そこには想像が至らない。
日本人の欠点かなとは思います。
ご自身は、強い相手にも口をつぐまないといいたいのか?
むしろ、「溺れる犬を棒で叩いたうえで、石まで投げつける」行為の典型でしょう。
それとも、著書の正しさを身をもってアピールしたということでしょうか?
でも、日本人の問題でもあり、マスコミの問題でもあると思う。
国会の法案の答弁は全く報道されず、議員の不倫や疑惑の報道は時間をかけてやる。
法律の方が遥かに大事なのに、理解に苦しむ。
そして、マスコミの論理矛盾も甚だしい。
が、それに気付かず一緒に誹謗中傷する国民も愚か・・・。
黒川さんの話が書いてあったが良い例。
定年延長と内閣の承認で更に延長する話については、内閣が人事権を持つのは三権分立に反すると批判し、賭けマージャン発覚後の黒川さんの処分については軽すぎるのに政府は何も言わないと批判する。
どちらも三権分立に反する話だ。
そんな都合の良い批判話に流られ右往左往、人を非難する方々が本当に残念でならない。
非難される側はたまったものじゃない・・・。
本当に怖い世の中になったと思う。
この名誉教授がおっしゃる事は理解できますが、書いてある事は意見ではない。その様に見えるとか、その様に解釈できるという分析だ。
マスコミ上の発言のほとんどが「ではどうすれば良いのか」その発言者が「どうしたら良いと思うのか」と言う自分なりの考えや提案がないまま指摘だけしているように思う。
野党も同じで、ダメなところを指摘だけして騒ぐだけ。問題は、このままではダメだと思うなら「ではどうするか」なんですよ。それが意見て物だと思いますが。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
昭和の中頃はみんな裕福ではなかったが、困った人を助け合うという寛容の心が多かったように思う。その後バブル崩壊から格差が大きくなり余裕のない人が増え始めて、顔の見えないネットで復讐されないところを攻撃して留飲を下げるという連中が出てきたのだろう。しかしそんなのはごく一部の輩で、今でも弱者があれば物心両面で助けてくれる人も多くいる様なので頼もしく感じる。
みんなが同じだから、弱いものがいれば、みんなで叩く。
おかしいことと思っても、自分が主張すれば、自分が攻撃される
だから、言わない。
その繰り返し。
それで、大きくなっても、相手に対し、自分の意見をしっかりと
言える人は、ほとんどいない。
言うと、おかしな人。ちょっと変わった人。自己主張が強い人。と距離を置かれる。
しかしながら、他人から見えない場所では、自分の意見を大きく主張し
過激になっていく。
大人が、コントロールしやすいように『みんな一緒』という言葉の教育が、よい場合もあり、悪い場合もある。
今は、悪いことに大きく作用しているように感じる。
大人的に言えば、『空気をよむ』ということなのでしょうか。
とにかく、M部科学省の基本方針が間違っている。親は子供を学校任せ。先生は学校上司に向き、いじめが有っても見て見ぬふり。学校上層部は、教育委員会にばかり向いていて、肝心の子供はおざなり。たとえ成金でも、成績さえよければ高学歴で社会的地位をたやすく築いていける、今の日本。だあれも責任なんか取らない。全てとは言わない。自分で考え、人に左右をされない子供達が多く出てきてほしい。
確かに、「反論・文句をいうのは子ども」で「本当に思っていることは言わず、受け流せるのが大人」というイメージがあります。そのせいでストレスの多い国になってしまっているのかな。。。
いつの時代も例外なく従っていた訳ではなく、時として強い反抗があったこともまた事実。
良くも悪くも周囲に合わせて行動する面が強いだけに、「周囲の空気」が「強い反抗をする」方向に風が吹いたら、どうなるかは分からないと思います。
此の記事のコメントの大半がきっと批判になるだろうと思うけど、強いものには何もかも言わず、匿名で叩ける時に憂さを晴らす。まさにこの事を論じておられるのだろうと思います。でもだからどうなるのか?疑問を持ってもその時点で潰してきたのは誰なのか?そしてその人達はどう責任をとるのかという視点が無いのもこの国の国民性を形成した要因では?
でも、政権を叩けるから、声の大きな人たちが必死で叩いたのだと思う。
一方、株のインサイダー取引でというのは例が悪い。大抵の場合、表に出てこないし、大手企業ではそんなこと起こりづらいからニュースバリューがない。昔のリクルートコスモスのような超大手がこんなことをやればそりゃニュースバリューがあるからこぞって報道するだろうけど。
とりあえず、私は黒川検事長の麻雀なんてどうでもいいとまでは思わないけど、前例に倣う程度の処分で何ら問題ないと思っていましたよ。
まあ、溺れる犬を叩くのはマスコミであって、日本人の気質という訳ではないと思います。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
でもマスコミの報道の仕方がそもそも悪いとは思うけどね。
なぜそこから始めないといけないのか、違う場所から解いたら問答無用で零点になるのか
親が見ても不思議
子供に「こういう解き方もあるよ」と教えても「先生の言った通りじゃないから点数にならない」と言う
宿題だから点数にならないとやり直しだろうし、それが嫌だから考えることもしない
これって教育じゃなくて調教なんじゃないだろうか、と思うことはある
この文面には肯ける部分が多いと感じました。
得するためには~的な故事物が多かった気がしますが、
寂しい話ですがそういう風潮になって来ちゃったんですかね。
日本の考え方がドラマなんかを見ている内に韓国化して
きているといいたいのでしょうか。実際は少し感覚的に違うような気もしますが
確かに昔の方々は安保反対運動とかしてましたが、
最近は前より国会前デモとかも減りましたしそういう状況も有るのかな
自己責任、再チャレンジの機会が稀な国だから、自己保身の為に他人を攻撃する意識は高くなるわね。だけど、それは日本人の本質ではない。日本人はその時々の時勢を受け入れて暮らすのが本質。だから今はそんな世知辛い時勢での話。戦前の好戦的意識(軍部扇動からの)、高度経済成長期のモーレツ・企業戦士もらその時の時勢に国民が乗って生きただけ。でも残念なのは事前に察して変化できない所。現実問題として目に見えないと動けないこと。
今はSNSの影響で、良くも悪くも、すぐに1個人の動向が日本全国に拡散される。認知度に比例して否定派も増えるのは自然だが、注視すべきは、100人の1%、1人の発言力はごく小さいが、1、000、000人の1%、100、000人の発言は、大きな発言力を持ってしまうという事。加えて、否定的な意見の方が伝達力が速く、世間も興味を持ちやすいのが恐いところ。今の世の中、ある程度仕方がないところはあると思うが、人格否定や、匿名を良いことに、元から相手を陥れるのを目的にした中傷に対しての法整備は必要かと思う。
ある説に、日本人を動かすのに「皆んな飛び込んだよ」と言うと飛び込むとか。
笑い事ではなく、凄く考えさせられる。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
良く言えば協調性がある。
そういうことだよね。
良い面も悪い面もある。
お国柄はその国々の幼少期からの教育が大きく関わると思うし、一筋縄ではどうこうできないと思うよ。
日本の教育は個よりも集団に重きを置くから。
今から教育を変えても、世の中が変わるのはその子どもたちが大人になった時だろうね。
元々の国民性もあるのだろうけれど、一番の原因は今までの教育とテレビを初めとするマスコミの影響だと思う。助け合ったり思いやったりすることを蔑ろにし、一方で作り上げた良い話で感動を押し付け、自分達って素晴らしいと自画自賛。一時期外国人を日本に連れて来たり日本製品を提供して、外国人に「日本は素晴らしい」って言わせる番組が幾つかあったけど、恥晒しもいいところ。オリンピック誘致で使われた「おもてなし」と言う言葉も、あれ以来日本では紛いもののおもてなしが横行した。これらは、政治家や一部の金持ちにはとても都合が良い状態づくりに貢献した。ただ、日本では厳密な宗教観というのが無いにもかかわらず、情けや人助けを美徳とする価値観もある。これは神の教えを徹底教育されていないにもかかわらずのことであり、貴重な国民性だと思う。これからの時代は、この様な点を育まないと、日本国として成り立たないように思う。
それと「目上に弱く下には強い」のは日本に限った事とは思えないけど。体制に逆らった上の世代の見本がいる。隣国にも。その後のその人達の人生も知ることが出来るし、個人の限界を知ることも出来る。
外国や左派には扇動する大きな団体とそれを資金力でバックアップしてくれる存在があるけど、日本人でそれを探してもない。その違いだと思う
サムライは自己犠牲や正々堂々であることを美徳とし、あくまでも主君と一対一の主従関係において、「個人」として判断し行動する。
一方、農民は自らが属する集団の利益や価値観が優先され、個人の意思よりも集団の利害に基づいて行動する。
個人主義の社会では、先ず「自己」が存在し、そのうえで周囲の人間、社会が構成されて行く世界観を持っている。
しかし、日本のような集団主義の社会では、先ず「他者集団」があり、その中の関係性において自己が形成されて行く傾向が強い。「世間様」が存在しなければ、自分の位置がわからない。自分自身の絶対的な価値観を持っていないため、常に他者の意見、大多数の意見によって相対的に自己の価値観が作られるのだ。そのため、マスコミの情報が大きな力を持ってしまい、批判的精神も失われている。
会社組織でもトップダウンの割にトップが責任を取らずに担当の仕事の仕方を責める
トップが決めたことに反論しようもんなら それこそ追いやられる。
つまりそういった思考土俵から生まれた記事だと割り引いて考える必要あり。
とはいえ、弱者を徹底的に叩く風潮は確かに存在している。
が、それは個人的には資本主義経済の行きすぎた結果、貨幣経済の行きすぎた結果だと考えている。だから日本に限った話では無くもちろん東アジアだけの話でも無く世界中に後半に蔓延する症状の一つだと言える。日本が特別なのでは無い。
「価値」が成績やお金つまりは簡単に数値で評価できる(してしまう)状況に疑問を持たない人間が増えれば、当然想像力に乏しい人間も増える。ただただその延長でしか無いわけで、日本人は~なんて暗黙に他人種他国は違うことをアピールするのはその方向の意図でしか無い。
主義主張のためにひっくり返っている。だから割り引いて読むべき。
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
【みんなで渡れば怖くない】日本人は確かに物の見方が近視眼的な人が多い。特に40代以上になると特に顕著になる。なぜかと言うと人生においての経験値と智学(読書•他人から吸収した知識など)の差が著しく違って来る。直近での例では大阪府知事のうがい薬でのコロナ対策の一件である。冷静に物の本質を見極めると動じないが、うわべだけ聞くと浮ついて直ぐに行動を起こす。ヘタすれば暴動にも繋がる場合もある。世の中において、権威者例えば知事 医者 弁護士などから聞く話も丸呑みは禁止である。いろいろ聞く 調べる などひと手間掛けてチェックしてから次のアクションを起こすべきである。■人生はリスクが付き物である。チェックが必須!
規則の意味や必要性じゃなく規則を守ることこそが大切だと、義務教育時代に叩き込まれる。個性や能力を出しても、教える側が御しきれない。本当に優秀な人材をも周りと同じ枠に留めることが求められるし。飛び級とか個性を活かすシステムとか、そんなに難しいのかなぁ。教育者が平凡すぎる気がする。
で、自分は何をしているのだろう?
仏教は半島から持ち込まれたけれど、日本の国教である神道を排除するわけにはいかなかったから共存を選んだわけでしょ?
日本は八百万の神様の国だよ。
黒川氏にしても、国民が怒っているのではなく、執拗に報道陣が取り上げるから、目の前の出来事として何らか口に出す人がいただけではないのかな?
消えた年金、最近では河井夫妻、勿論モリカケサクラもだけど、一つ一つをきちんと裁いてくれないじゃん。それが問題だよ。裁かずにのらりくらりとコメンテーターが御託を並べていればまた次の出来事があり、続く。
報道がろくでもない。世の中にはもっと色んな事があるのに、どの局も同じようなことばかりいつまでも垂れ流している。
ワイドショーやある種の週刊誌は、思慮浅薄な人たちをその対象としているので、視聴者や読者が喜ぶような内容にしているに過ぎません。
これを見て日本人を論じると木を見て森を見ず、群盲象を評すになると思います。
いきなり宗教の話が出ているけど、この宗教観の曖昧さが、今の日本があることの理由の一部だと思う。宗教観が強い地域ほど、他の宗教と衝突したり、酷いところでは宗派の違いでいがみ合っている。こんな狭い島国で宗教対立があったら、それこそ双方最後の1人になるまでやりあうのがオチ。その一方で、日本人の倫理観には今でもちゃんと仏教や神道の教えに基づいたものがあり、それを実践しよう、実践しなきゃと思い生きている人がたくさんいる。よく日本人はあらゆる宗教のいいとこ取りしかしていないって言われるが、別にそれでいいと思う。信仰を大義名分にして戦争するよりはるかにいい。
日本社会全般に於いては同調圧力が高く所属する勤務先や学校、様々な組織更に家庭内でさえもその統一性からの逸脱が許されない傾向が強いと感じるし能力的に或いはその価値の高いものでも周囲から異質と感じられれば面倒くさい人物と評価され敬遠される特徴があるとは普段から感じる。又、多くの人々がその組織内で短期間に最大の利得を上げる事が正義かの様な環境下に、生まれた時から置かれている様な気がするのだが。その事によって生まれるフラストレーションがその組織内のイジメを生み、引きこもりを生みお互いを認め合えず自分以外の人に向かってアイツが悪い、コイツが悪いとの発言行動になってる気がしてる。話しが飛躍するが今の日本を統御する価値観が変わらぬとしたら例えば日本社会は環境問題に貢献出来ないのではないか。日本政府がこの問題に消極的なのも当然だろうと思う。
そのせいで、GHQは、さぞや決死の抵抗が日本では多いだろうと予測していたが、予想に反して高官も昨日までの組織への忠誠を捨てて羊のようにホイホイとGHQに協力したので非常に驚いたとの記録が残っている。
場の雰囲気とか空気とか世相とか、そういうものに対し思考停止して従ってれば少なくとも個人的責任は問われないので安全、という発想は凄く強いと思う
//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
Source: スマートニュース
